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代表 浅野健二 生い立ちと家づくりへの思い
生い立ちと家づくりへの思い
1967年5月18日 東京都田無市(今の西東京市)佐々病院で浅野家の次男として誕生。
幼稚園に上がる前までは、田無市本町の当時母の実家で暮らしていました。
当時の田無市本町の母の実家は、「田無だんご」を作り販売する敷地の大きな家だっただったことを覚えています。
(今ではマンションが建ち、昔の面影はありません)
だんご工場では、美味しそうなもち米を蒸した匂いが立ち込め、庭には大きな雑種の犬と、大きく掘られた穴...それとチャボが2羽。
昔ってこんな感じの雰囲気が多かったかと思います。
その後、八王子市の団地へ引っ越し。
私には、2つ上の仲が良くて大好きな兄がいました。(2022年7月4日57歳でくも膜下出血により他界)
兄が幼稚園に行き始めると兄を追いかけ、「自分も幼稚園に行きたい」と両親に無理を言って、
同じ幼稚園に通わさせてもらっていたと母親から聞いています。
当時の幼稚園は今はもうありません。
高尾杉の子幼稚園といって、裏にはすぐ山があり、先生と一緒に山歩きに行ったことをうっすらと覚えています。
そして小学生、低学年時代は足が早く自慢でしたが、長くは続きませんでした。
私よりすらっと背の高い同級生の萩原君に抜かれ、とても悔しかった事を今でも覚えています。
それからというものの、自分でも言いたくないくらいどうしようもない❝いたずらっ子❞でした。
石を投げたら走っている車に当たってしまい、窓ガラスを割ってしまった...
当時住んでいた団地の1階にあった水道の蛇口を取ってしまい、水浸しになった...
本当に生意気なガキ大将で...etc 以後省略
私の父は映画関係のサラリーマン、母は内職やパートの共働き家庭で、
小さい頃は鍵を首に下げた、いわゆる「鍵っ子」でした。
夕方暗くなるまで外で遊びメンコや鬼ごっこ、缶蹴り、団子を作りをしてよく遊んでいた小学生時代。
そして中学生。
当時、私たちの時代の中学校は、非行の全盛期でした。
火の付いたホウキが屋上から落ちてきたり、バイクに乗った先輩がぐるぐると校庭を回っていたり...
ドラマで見るような、とても評判の悪い有名な中学校でした。
中学時代に両親が同じ市内に住宅を購入し、引っ越しをして、今でもその場所が実家となっています。
母方の曽祖父が宮大工でしたが、時代の流れから仕事が減り、家行の引継ぎはなかったと聞いています。
そして高校の進路は、卒業後大学には進学せず就職を考えていたため、八王子の工業高校に進みました。
生意気なガキ大将ではありましたが、成績はかなり良く滑り止めを受ける必要もない状態での高校受験でした。
入ってみてわかった事は、専門教科のため3年間クラス替えのない男子だらけな高校生活...
その後、上場企業への就職。
手先の器用さに自信があった私の配属先は、
クリーンルームの内の顕微鏡の作業で、25ミクロンの金ワイヤーで配線をするとても細かな作業でした。
それから、私の職業は建設業になっていきます。
年齢を重ね、結婚し、子宝に恵まれ、住宅の購入。
しかし、当時の住宅購入時には生涯の持てる資産などのライフプランシミュレーションや、
オススメの省エネ住宅の様な適切なアドバイスは、ほとんどありませんでした。
住宅購入の目安は、自分で知りえた知識と、今まで払っていた家賃と同じ位であれば、生涯払っていけるであろう...その程度です。
今年で新築とリフォームを手掛けて、16年が経過します。
今現在私は、皆さまが一生に1度の自分たちらしいオーダー住宅を建てるお手伝いをさせていただく中で、
私の時代になかった有利な情報やアドバイスを適切にお伝えできるよう、積極的に取り組んでいます。
例えば、ガラスサッシや、断熱材を普通のものから変える事で、とても高くなった光熱費を抑える事ができる。
私の時代には、なかったからこそ協力できることがあります。
【365日、愛する家族と過ごす家 私の帰りを家族が待っている】
私にとっての【家】
それは愛する家族が待つ空間、愛する家族と過ごす空間。
私にとって家とは、人生の全てがここに詰まっていると言って過言ではありません。
それは私の意思で購入したものでもあるから...
【TOKYOなないろ工房のもう一つ大きな特徴】
それは、「最長20年後の修理費が掛からないマイホームづくり」です。
「ただ建てる」のではなく、
20年後の修理費も最初から含めた家計の心配がないお家づくりにより、
お金の心配をゼロにした、家族と過ごせる人生を手に入れるプランを作りました。
業界初の取り組みです。
20年経過した家がどんなメンテナンスが必要になるのか?
またそのリフォームには平均で150万から280万位の大きな費用がかかり、
多くの方が子供の進学とリフォームがバッティングしている光景をよく見ているのです。
このタイミングでお金がかからない事で、喜んでいただける方がとても多く、
リフォーム業をやってきたからこその、経験から生まれた取り組みとなっています。
ぜひ、自分自身に置き換えて考えてみて頂けると、分かりやすいと思います。
ご相談いただければ、より詳しく丁寧にご説明をさせていただきます。
最後に
「とても長い文章をお読みいただき、本当にありがとうございます。大変嬉しく思います。」
TOKYOなないろ工房 代表 浅野健二の
生い立ちと家づくりへの思いをお読みいただいたことで、
お客様にとって、一生に一度の大切なマイホームを任せられる相応しい人間かどうか、
ご判断の参考にしていただけますと、幸いでございます。
TOKYOなないろ工房
株式会社INGコーポレーション
社長代表取締役 浅野健二